背番号11背番号11(新)

2年間の監督任期を終え,今度は以前の7番に戻りたいと思っていたところ,7番を欲しいという新人がいた。このためいろいろ思案した結果,またもや平成11年度にちなんで11番に決めたのだった。いい加減に決めているようだが,空いている番号の中から好きな番号を選んだ結果であった。ノンキーズの大エース,吉田敦投手が付けていた番号としても良く知られていた。

結局一番長く付けていたのがこの番号だが,子供が生まれたり,江別に転居したり,何より年齢的なこともあり,出場試合数は最も少なかった。

11番ではエースと呼ばれた数多くのピッチャーを思い出す。

まずは村山実(阪神)。阪神の永久欠番。現役時代はほとんど知らないのだが,長島のサヨナラホームランで有名な天覧試合で,その打たれた投手が村山。通算222勝の大エース。監督としてもこの番号を付けてタイガースを指揮した。

斉藤雅樹(巨人),荒木大輔(ヤクルト−横浜)はいずれも私と同学年。同世代のヒーローだった。斉藤の躍動感あふれるサイドスローは,平成に入ってからの巨人の屋台骨を支え,通算180勝96敗。90年代最高の投手と呼ばれ,各種タイトルはもちろんのこと,3年連続開幕試合完封勝利,11試合連続完投勝利,2年連続20勝は圧巻である。

荒木は記録こそ平凡ではあるが,甲子園のアイドルと騒がれ,ヤクルトに入団後も人気は絶大。長いブランクからの復活後は『荒木不敗神話』という言葉も生まれ,多くのファンに印象に残る輝きを放った。

実はこの二人,ドラフト会議でドラマがあった。荒木に巨人とヤクルトが1位指名,抽選の結果,交渉権はヤクルトに。巨人はハズレ1位で斉藤を指名する。結果的に巨人としてみれば,『残りものに福があった』と言ったところだろう。

また奥尻が生んだ大投手佐藤義則(阪急・オリックス)。大卒のピッチャーでありながら22年間も一線級で活躍。数々のタイトルに加え,40歳11ヶ月でのノーヒットノーランは大きな勲章だ。力感あふれるフォームとその活躍は,震災後の島民を大いに勇気づけた。現在は北海道日本ハムのコーチとして地元球団の投手陣をサポート。パリーグ制覇に大きく貢献した。

野茂英雄(近鉄−ドジャースほか)は,今では当たり前になったメジャー移籍のパイオニアだ。日本では新人王,MVPのほか投手タイトル総ナメ。メジャーでも新人王,奪三振王,両リーグでのノーヒットノーランなど記録は数知れず。日本人で最初にホームランを打ったのも実は野茂だった。トルネード投法からのフォークボールでメジャーの強打者をキリキリ舞いさせる勇姿に日本中が酔いしれた。

現役を見ても川上憲伸(中日),ダルビッシュ有(日本ハム)など圧倒的に投手が多い11番だが,例外的にシピン(大洋−巨人),大島康徳(中日−日本ハム)といった強打者もいる。ちなみにメジャーでは10番台は内野,20番台は外野,30番台が投手に比較的多く,監督・コーチが一桁や10番台も珍しくないので,日本とはだいぶ趣が異なるようだ。

ついでに番外編としてキング・三浦知良(現・横浜FC)も挙げておく。背番号の上に『KAZU』と苗字以外の文字を入れるのも斬新だった。プロ野球でもニックネームを入れるようになったのはその後である。

さて,気がつけばだらだらと書いてしまった。お付き合いいただいた方に厚く感謝申し上げる。あくまで一人の野球ファンの視点,少年時代からプロ野球を見て育った者の思いついたことをあれこれ書いてきただけなので,その時代と嗜好がモロに出てしまっており,特に若い方にはぴんと来ない部分もあると思うが,ご承知おきいただきたい。

 最後に,一番付けたかった背番号のことを書いておきたい。それは31番。残念ながら草野球では30番までしか登録できないため,付けることが出来なった憧れの背番号である。理由はもちろん掛布雅之(阪神)だ。それまで巨人一辺倒だった私だが,なぜか掛布は大好きだった。「カケフコール」を背に受け独特の構えからしなやかなスイングでホームランを飛ばし,サードの守備も実にカッコ良かった。長嶋の引退後,華のある若きヒーローを求めていたのかもしれない。伝統の一戦でのライバル江川との数々の対戦は,昭和における最後の名勝負であった。

 今後草野球では,51番や55番を付けたいと思う世代も多くなってくるだろう。ここは札軟連ほか各団体が,背番号の上限を撤廃するなど柔軟的に考えてもらえれば幸いである。ま,無理だとは思うけど。

 

 平成14年度のシーズン終了時に38歳で現役を引退した。何とか子供がわかるようになるまでがんばろうとも思ってはいたのだが・・・。長女とは,まだヨチヨチしている頃に,ユニフォーム姿で一緒にとった写真が数枚あるのがやっと。

小学1年になった今,それらを見ながら現役の頃の話をあれこれと聞いたり,ときどきキャッチボールもしたりするまで成長した。何度か私と一緒に札幌ドームでファイターズの試合を観戦しており,小笠原と新庄,それにセギノールのことはスタンドからでもきちんとわかる。ファイターズとライオンズとオリックスの違いもわかる。ただ,ダルビッシュの前に自分の父親が11番を付けていたのだと本気で思っているのがおかしくてたまらない。今のところまだそれを敢えて訂正させていない。

2006.10.19UP

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