背番号30

7番を2年間付けた後,平成9年に監督を引き受けることになり30番を2年間付けた。荷の重さはもちろんのことであったが,小さい背中ゆえ番号がさぞ大きく見えたことだったろう。

30番は何と言っても江川卓を他においていないだろう。実働9年と短かったこともあり,記録より記憶に残る選手として語り継がれている。ストレートとカーブの2種類で真っ向から打者に向かうピッチングは,「江川ほど投手らしい投手はいない」とか「長い球史の中で最高のピッチャーは誰か聞かれれば,私は迷わず江川と答える」と言ってはばからないベテラン解説者もいるほどだ。入団時のいざこざで悪役のイメージがつきまとったが,記録に関しても,9年間で135勝72敗は年平均すると15勝8敗。太く短い選手生活で投手主要タイトルをいくつも手にしている。

この番号こそ江川以外に目立った選手がいない。そこで監督の番号として定着したいきさつを調べてみると,創世記から戦後にかけてのプロ野球のチームは選手が20人程度しかおらず,選手は20番台半ばまで,監督はその列外なので30番が多くなったということ。そしてこの頃の名監督と呼ばれる藤本定義(巨人),鶴岡一人(南海),水原茂(巨人ほか)がいずれもこの番号を付けていた。特に鶴岡は1947年から南海を19年間,水原は1950年から巨人と東映で計17年間も30番を背負って人気球団を指揮しており,戦後日本が復興し高度経済成長を遂げ,野球が庶民の余暇として発展していく過程で,30番が監督して最も象徴的な番号として捉えられたからではないだろうか,と推察する。

2006.10.19UP

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