1984たそがれ大会決勝戦

 1984(S59)年9月23日(日)午後1時から白石電々球場で行われた,第31回たそがれ野球大会決勝戦,ノンキーズ対ラージーズの試合,および試合後の模様をご紹介します。
 試合は,2回表にラージーズが2点先取。決勝戦ということで9回を戦い,惜しくも0−2でノンキーズの優勝はなりませんでしたが,当時153チームが参加した“札幌草野球界の甲子園”とも呼ばれる大会で準優勝という輝かしい成績をおさめました。個人では,大会の敢闘賞を浜野道敏投手が受賞。また,吉田敦三塁手が打率3位で打撃賞を受賞しています。
 この年マネージャーを務めていた坂本芳雄二塁手が作成したノンキーズニュースによりますと,この試合には50名を越す方がノンキーズを応援しに球場へ足を運んだそうです。また,この試合を撮影したビデオテープが存在し,現在はDVD化もされています(ただし,販売・配付等はしていません)。
 1984年といえば,2008年限りでホークスの監督を退任した王貞治が,ジャイアンツで前年までの助監督から監督に就任した年。クロマティがジャイアンツに入団したのもこの年でした。
DVDから試合の模様@
 DVDから,撮影を開始して間もない時間帯の画像をキャプチャしたもの。一塁側から,先発の浜野投手を中心に撮っています(撮影者は不明)。右後方が笹川雅司遊撃手,奥が大植俊博左翼手。画面には出てきませんが,一塁走者がいます。
DVDから試合の模様A
 続いてもDVDからキャプチャした画像。
 相手打者が,投手前やや三塁寄りに送りバント。この打球をダッシュして処理した浜野投手から坂本二塁手に素早くボールが転送され,一塁走者が二塁で封殺された場面です。映像で各選手の動きをみていると,たそがれ大会決勝戦に進出したことが十分に納得できるものがあります。
 なお,画面手前に映っている方はノンキーズ側の関係者と思われますが,どなたなのでしょう。

スタメン

表彰式
 試合後の表彰式で整列するノンキーズナイン。外野フェンス後方に建つ“まつわ荘”と読めるアパートが目をひきます。「待つわ」であれば,歌っていたのは,あみん。その一人岡村孝子は,元ジャイアンツ等に所属していた石井浩郎内野手と一時期夫婦でしたし,ソロでリリースした「夢をあきらめないで」が,2005(H17)年夏に公開された野球映画『逆境ナイン』(原作者の島本和彦は札幌在住の漫画家)のエンディングテーマになるなど,比較的野球に関わりがある歌手だと思います。「待つわ」がヒットしたのは,たそがれ準優勝2年前の1982(S57)年ですが,まつわ荘がそれから名づけられたのか,それとも“まつわさん”という方が大家さんだったのかは,なんともいえません。ネットで地図検索をかけてみましたが,該当する地域には建物の名が表記されませんでしたので,現存していないことも考えられます(わりと住所が近いんだから,自分の目で確かめにいけばいいんでしょうけれど)。
 そもそも,この白石電々球場自体,NTT東日本野球場と名称が変わった後,現在では存在せず,2008年10月下旬のニュースでは,跡地にマンション建設の話が出ていました。ほぼ四半世紀前のことですから,イロイロと変わってしまうのも当然かもしれません。
表彰
 準優勝カップを受け取る大植左翼手。その後方でカップを手にしているのが,背番号7番の渡辺聡外野手(この決勝戦には途中から出場)。現在までのノンキーズ歴代ユニフォームでは,この時の第4代と,第6代の時だけ胸番号がついています。
 坂本二塁手作成の当時のノンキーズニュースによりますと,準優勝カップは札幌軟式野球連盟,北海道新聞,大和ゴム化工,藤井運動具店からそれぞれ贈られており,記念写真でも4つあることが確認できます。
準優勝ナイン@
 表彰式終了後のノンキーズナイン集合写真。優勝旗に“タソガレ”とカタカナで表記されているのが,旧日本海軍の駆逐艦が舷側に艦名を表記していたことを連想させ,ちょっと違和感があります。漢字で“黄昏”と表記するのもどうかと思いますが,何故ひらがな表記ではないのか,個人的に少々不思議に思いました(当時の北海道新聞を見ても“たそがれ野球”となっています)。
 また,帽子を見ると1994(H6)年まで使用していたノンキーズ第6代ユニフォームの時にも使用していたものと同一のように見えます。もし,同一の帽子であれば,この第4代ユニフォームから少なくとも10年間同じ帽子を使用していたことになりますが,野球帽って,そんなに長く使い続けますかね…?デザインが同じような帽子を,どこかの時点で再度作ったのでしょうか?…と書いてから気づきましたが,いまのノンキーズの帽子も2001(H13)年にユニフォームとともに変更されて,来年で9年目になります。使用期間だけで考えれば,第4代ユニフォーム時の帽子も第5代・第6代とユニフォームの変更を超えて使われ続けた可能性があると言えそうですが,いまのところ確証はありません。
準優勝ナインA
 集合写真の別アングル。渡辺外野手の笑顔と白い歯が,新庄剛志顔負けの輝きを放っております。
 なお,ノンキーズは準優勝でしたが,各新聞社主催野球大会の優勝チームが集まって草野球札幌一を決定する六社対抗優勝大会に,この年たそがれ野球を主催する北海道新聞の代表チームとして推薦されました。経緯は当時のニュースでも触れられていませんが,優勝したラージーズが読売新聞の代表チームとして出場するためのようです。ひとつの年度で2つの大会に優勝したラージーズは,かなりの強豪ですが,そのチームとたそがれ大会決勝戦の大舞台で互角に戦ったノンキーズも,かなり強いチームと言えるでしょう。
 このことを伝える1984年9月26日発行のノンキーズニュースでは,そのほかの六社対抗出場チームとして,今はなき北海タイムスから青木商事エンペラー,日刊スポーツからセイコーマートはしばが出場することが伝えられており,毎日新聞と朝日新聞からの出場チームは不明となっていました。
文中敬称略

写真提供:坂本芳雄内野手

2008.12.31 UP

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