背番号0
0番
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 ノンキーズでは,1999(H11)年に岡本泰典投手がつけたのが最初。岡本が監督に就任し背番号が30に変更された2001(H13)年は,ノンキーズのユニホームが現在のものに変更された年だが,そこから3年間は能代谷幸太外野手がつけている。能代谷選手はスイッチヒッターとして活躍し,どこか竹田直弘外野手に通じるライトな男だった。その性格を開花させるのに一役買ったのが,黒澤・元外野手だという説もある。
 その後,2004(H16)年度の空き番を経て,2005(H17)年度から北浦淳市投手が引継ぎ,現在に至っている。北浦選手は,第3の先発投手として新入団の年に早くも完投勝利を記録。打者としてはスイッチヒッターで,奇しくも0番は2代続けて両打ちの選手がつけることになった。

能代谷外野手
能代谷幸太外野手
能代谷選手に関しては,納会の賞品として受け取ったレトルトカレーに関するものがあるが,ちょっとここに出すのはマズイように思うので,次のエピソードを載せる。
熊が出た
 まだファイターズが北海道に本拠地を移す前で,B.Bも存在しなかった2002(H14)年のこと。道新リーグ戦開催中の真栄球場に,熊出没騒ぎが起きたことがある(当時のニュースから)。
2002(H14)5月10日 道新リーグ@
ラルズスーパーウィナーズ戦
 2回表の守備についてすぐのこと。能代谷幸太左翼手が後方の林に「熊がいる」と報告し,一瞬球場に緊張が走った…が,結局人間であることが判明した。まぁ,朝っぱらからこんなところを行動する人間はいないと思う方が自然なのだろう。
 それにしても,その人,いったいなにしてたんでしょうね?写真にとらえることができなかったので,推測も困難です。
 ちなみに,この球場の周辺ではキツネぐらいしか見たことはありません。まず熊はいないでしょうな…。
能代谷の背後に熊が…?
 当時,血相変えて走ってきた能代谷選手を見て,ほんとに出たのかと一瞬焦ったことを覚えている。ふざけた様子がまったくなかったので…。
 結果的には,以下のようなことだった。
2002(H14)7月26日 道新リーグE
R.B戦
この方…?
 5月10日の今季道新リーグ第1戦の時,能代谷幸太左翼手が「熊がいる」と一騒動したことがあったが,どうもその熊の正体は,このオバサンらしい。
 その時と同一人物かどうか確認することなどできぬ話だが,何人もいるとは思えないし,そう間違いではないように思う。
 おそらくこの方は,山菜採りでもしていたのだろう。考えてみれば,この球場近辺では坂本・元二塁手がフキを採取していたことがある。
能代谷年度別成績

北浦投手
北浦淳市投手
 2006年の交流戦は,残念ながら風邪のため欠場した。2007年度はマネージャーを務める。
北浦年度別成績
北浦-個人タイトル・役職

背番号0について…
 手元の資料を見てみたところ,日本のプロ野球では,ジャイアンツで長岡久夫という選手が1946(S21)年から2年間つけていたのが最初らしい。その後,1948(S23)年に1年間だけの球団名称だった急映フライヤーズ(北海道日本ハムファイターズの前身にあたる)の太田義次がつけている。加えてネットで調べてみたところ,戦後初期にプルペン捕手がつけていたとの記述がみつかったので,おそらくこの2選手だと推測する。そのため,1983(S58)年に広島東洋カープの長嶋清幸外野手がつけたのが,日本プロ野球で最初とされているようだ。これ以降,各球団で0番を背負う選手がチラホラと出てきた。
 武田個人的には,ジャイアンツの川相昌弘内野手(引退時はドラゴンズだったが…)の印象が圧倒的に強い。おそらくどこかのWebページで特集されていると思うが,川相のエピソードを拾っていったら,かなりのものになるだろう。
【参考資料:ベースボールマガジン1998年夏季号・背番号&ユニフォーム大特集】

2006.12.15 UP

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