背番号1
1番
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 新庄剛志が「背番号は1番です」といってファイターズへ入団したり,ヒルマン監督が優勝監督インタビューで「北海道のみなさんは世界で1番で〜す!」とやったり,駒大苫小牧高校ナインの1番ポーズなど,近年の北海道には馴染みの深い数字と考える。まぁ,それを抜きにしても,華のある番号であることは言うまでもない。
 ところが,ノンキーズで記録に残っているのは,創立から10年目に三上昭二捕手がつけたのが最初。実際はそれまでの期間も誰かが1番をつけていたと思うのだが,基礎資料を作成いただいたご両人の追跡調査の結果であるから,これ以上のことがわかるとは思えない。
 1971(S46)年といえば,長嶋茂雄が自身6度目で最後の首位打者を獲得した年。また,なんといっても“1番といえばこの方”という王貞治が,日本シリーズで阪急ブレーブスの山田久志から逆転サヨナラ3ランを放ち,ジャイアンツが7連覇を達成している。
 野球を離れると,第2次怪獣ブームが始まった年とされ,『仮面ライダー』のテレビ放送が4月から開始されている。
 本題に戻ると,三上選手は1年間だけしか1番をつけておらず,その後なんと干支が一周する12年もの間空き番になっている。1984(S59)年から2年間,佐々木稔内野手がつけたが,またそれ以降10年間も空き番。記録上,背番号1はノンキーズ創立から33年目までのうち30年間は空き番なのである。偉大という言葉ではまったく物足りない超超超…大選手の王貞治と同じ番号をつけることを遠慮した…とは考えにくく,何か“特別な理由”があったのだろうか?(当時活躍していたノンキーズの面々が,そんなに遠慮深かったとは思えない)。
 1995(H7)年,ユニホームが変更された際に,岡本泰典投手が久々に1番をつけた。前年の9.23事件の悪夢を払拭し1から出直すという意味ではなかったが,当時のマネージャー・庭田智外野手は,そういった願いを込めたらしく,岡本を新入団選手の一人としてノンキーズニュースで紹介している。
 岡本が主将になり10番にかわった1998(H10)年から3年間は,またまた空き番になり歴史が繰り返されるかと思われたが,ユニホームが現在のものに変更された2001(H13)年に入団した高橋真司投手が1番をつけた。高橋選手は2004(H16)年までの4年間在籍し,現時点ではノンキーズ史上もっとも長く1番をつけていた選手になる。
 2005(H17)年には安住和宏外野手がつけたが,1年間だけの在籍で,2006(H18)年からは長勢正人外野手が引き継いだ。長勢選手は2打席連続二塁打を放つなどの活躍で新人王に輝いており,今後が期待される。

高橋真司投手
打席の高橋真司
2001.6.7 日刊スポーツ杯@ 雁来健康公園
札幌アニマルズ戦
高橋真司投手初登板
2002.6.29 読売杯@ 月寒高台
北教球会戦
祝福をうける高橋真司
2003.7.13 道新リーグD 真栄B
ビー・フリー戦
 2回表,二塁打を放った高橋真司に“ナイスバッティング”と声をかけるビー・フリーの二塁手。野球規則上ではダメとなっていますけれど,こういうのってけっこうイイものだと思います。
高橋真司力投
 投球時に笑ってしまうという珍プレーもあったが,躍動感あふれる投球を展開した。
 高橋真司と道新リーグ戦といえば,先日の第3戦(対BOSE)で度を過ぎたヤジ攻めを受けたことが記憶に新しい。しかし,この日はそういったこともなく,穏やかな雰囲気で試合は進んだ。珍しかったのは,最終回の守りで,相手の二塁走者が三塁コーチにボールカウントを確認したところ,マウンドから高橋が「ツースリーです」と回答していたこと。草野球とはいえ,そうめったに見られないシーンで,なかなか面白かった。
(当時のニュースから)
【撮影:吉崎 綾】

安住和宏外野手
安住和宏外野手
2005.6.7 道新リーグB 屯田西公園
札幌プリンスホテル戦

長勢正人外野手
長勢連続二塁打
2006.6.29 道新リーグC 真栄
月寒クラブベイスターズ戦
 長勢選手の連続二塁打の場面をつないでみたが,やっぱし打った瞬間の方がイイであろう。武田の技量の無さは,どうにもなりませぬ。
 ところで,1本目と2本目ではベイスターズの一塁手が交代しているが,実に似たような格好で打球を見ているものである。
長勢年度別成績
長勢-個人タイトル・役職

高橋真司年度別成績
安住成績
新情報
2006.12.27
 背番号1番の系譜について,大橋・元外野手から新しい情報をいただきました。このことで以前に聞き取り調査したところ,背番号1は,1964(S39)年から1967(S42)年までの4年間,中林義昭選手がつけていたそうです。正式な記録(資料)としては現存していないようですが,自分がつけていた背番号を間違えるとは考えにくいので,確かなことだと思います。
 中林選手の現役時代を武田は知りませんが,1998(H10)年頃の忘年会で行われたストラックアウトに参加した際に披露したスピードボールが強く印象に残っています。今回,中林選手のポジションは確認していませんが,かなりの強肩ではなかったかと想像されます。
 大橋さん,ご助言ありがとうございます。

2006.12.23 UP

もどる バックホーム