小笠原の移籍先のジャイアンツでは,1年間だけつけていた小坂誠が譲る形になったが,それ以前につけていた選手を思い出すと,外国人選手は別として元木大介,蓑田浩二,松本匡,上田武司といった脇役タイプの選手がほとんど。それ以前には広岡達郎という時代もあったが,これはかなりの年配者でなければ,生でプレーを見ていないだろう。ONに挟まれた背番号ということで,個人的にも,ファイターズが北海道に移転して小笠原を見慣れるようになるまでは,印象の強い番号ではなかった。 |
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ヒーロー関係では,『快傑ズバット』(1977年)で早川健が「日本じゃ2番目だ」という名台詞を毎回吐いていたのを思い出す。人によって好き嫌いはあるだろうが,日々の憂さをブッ飛ばす面白さ満載の作品なので,DVDやCS放送等でご覧になることをおすすめする。 |
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ノンキーズで記録上最初に2番をつけたのは,1971(S46)年の田鎖英晴選手。5年後の1976(S51)年に小熊美久選手がつけた後7年間の空白があり,1984(S59)年から2年間は,長谷川勝利遊撃手がつけている。長谷川選手は通算4本のホームランを記録した強打者であるが,なにせ他の記録が残っていない時代に活躍しているので,その詳細を知ることができないのが残念である(一席設けてご本人にインタビューしたところで,どうせ武田は一晩たったら全部忘れているだろうし…)。また,長谷川選手は一部でハンドパワーの使い手としても知られているが,これについては言及を避ける。 |
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前回の1番もそうだったが,この2番には長い空白期間があり,記録上長谷川選手の後に2番をつけたのは,20年後の2005(H17)年に入団した和田幸憲外野手である。それだけ長期にわたってノンキーズでこの番号をつける選手がいなかったというのが不思議に思える。不明というのではなく,少なくとも1992(H4)年以降和田外野手がつけるまでの13年間は,間違いなく空き番号だった。 |
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和田外野手は,アメリカンフットボール仕込みのパワーと突進力,さらにデカイ美声を売りとする選手。新人だった2005年の私大親睦決勝・札幌学院大学戦では,難敵の広嶋投手の変化球を見事ライト線にはじき返すヒットでチャンスを拡大し,この大会の優秀選手賞を受賞した。しかし,ノンキーズでは,まだ本来の破壊力を十分に発揮しているとは言えず,今後が期待される。 |