背番号4
4番
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 日本の高校野球では,基本的に二塁手のレギュラーがつけている背番号。日本プロ野球では,1980年代ぐらいまでは外国人選手がつけることが多かった印象がある。
 ジャイアンツでは,黒沢俊夫を最後に永久欠番となった背番号だが,梶原一騎原作の漫画『侍ジャイアンツ』で番場蛮が4番をつけていた。
 ニューヨークヤンキースでも,ルー・ゲーリッグの背番号4が永久欠番となっている。
 やや古くからのタイガースファンであれば,球界の春団治といわれた川藤幸三を思い出すかもしれない。
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 記録上でノンキーズ最初の背番号4は,1971(S46)年の佐藤正志選手。この“背番号の系譜”を継続してご覧いただいている方は既にお気づきかと思うが,この1971年は以前にもふれたとおりノンキーズ10周年記念誌が発行されているため,在籍していた選手の背番号がはっきりと記録されている。意地の悪い見方をすれば,記念誌でも出なければ誰が何番かすら記録されない時代だったとも言えるわけで,これでは個人の成績など記録されるはずがない。
 ま,ここは愚痴や文句を並べるページではないので先に進むが,時代は一気に近年へと飛び,1995(H7)年に当時入団2年目の杉本圭吾二塁手が,記録上では実に干支が2周する寸前の23年振りに4番をつけた。これ以降,主将を務めた2001(H13)年,監督を務めた2005(H17)年を除き,2006(H18)年まで背番号4を10年背負っており,もちろん今季も不変である。
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  杉本選手が背番号4をつけた1995年は,ノンキーズのユニフォームが現在のものの一つ前のスタイル(7代目)に変更された年である。この年途中に新入団した伊東大祐外野手を除く18人のうち,半分以上の11人が背番号を変更した。監督や主将になったからという理由もあるが,やはりこうした機会に希望の番号を選択したということだろう。杉本選手が4番を希望したのも,二塁手というポジションを意識してのことと思われる。
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 杉本選手で忘れられないのが,1999(H11)年開幕当初の打棒大爆発である。まさにバットを振ればヒットの勢いで,最初の3試合に犠打1,死球1以外6打数6安打を記録した。その後やや調子を落として最終的には3割2分6厘でこの年打率3位となったが,春先の道新リーグで打ちまくったことからシーズン終了後に同リーグ事務局から特別表彰を受けている。ノンキーズが道新リーグに参加するようになった1994(H6)年以降,リーグレベルで表彰を受けたのは,ほかに2000(H12)年の渡辺中堅手の盗塁王,岡本投手のホームラン王(ともに3部リーグ)があるが,杉本選手の特別表彰は,それに勝るとも劣らない栄誉である。
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 なお,杉本選手はチーム事情によって捕手を務めることがある。二塁手と捕手の両方をこなせるという選手がどれぐらい希少か,具体的なデータを提示することはできないが,ノンキーズと対戦するチームを見ていても,ほとんどいないことは確かである(岡本選手のように全部守れるという男も存在するが…)。
杉本圭吾二塁手
杉本打席
杉本安打
2002年8月18日 親善試合 共済グラウンド
 法政大学戦
捕手として出場
1999年7月18日 道新リーグD 真栄B
L・A・GUNS戦
【捕手として出場】
杉本年度別成績

杉本-個人タイトル・役職


突撃インタビュー

2007.1.28 UP

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