背番号5
5番
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 近年では,2005年までジャイアンツにいた清原和博や,ファイターズの4番打者セギノールがつけているため,大柄な選手の背番号という印象が強くなったのかとも思うが,かつてのジャイアンツでは,黒江透修,河埜和正,岡崎郁といった遊撃手がつけており,個人的には小回りのきく内野手の背番号という印象がある。
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 ノンキーズで記録上最初に5番をつけたのは,1971(S46)年の掛札勲選手。前回4番の頁でもふれたように,この年以前は不明である。その後,中4年をおいて,和田清内野手が1年間つけているが,これも1年間だけの変更とは考えにくく,単に記録が残っていないと推測する。基礎資料を見ても,1977(S52)・78(S53)年の2年間で背番号が判明しているのは,監督と主将の2人だけ。これは最初にご紹介したとおり,監督・主将はこの背番号に決まっているために確定できたと思われる。
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 1980(S55)から2年間は鈴木正俊選手,1982(S57)年から2年間は笹川雅司投手がつけ,8年間の空白後,1992(H4)年に入団した渡辺敦中堅手がつけた。
 渡辺選手は,1994(H6)年の道新リーグ3部オールスターゲームに出場した際,投手前に放ったゴロがもう少しで内野安打になるというシンジラレナイ快足をみせ,他の出場選手を驚嘆させている。
【同じゲームに出場した安田敏明捕手の証言】
 16年目のシーズンを迎える今季,節目の記録を多数達成することが確実な渡辺選手だが,記録を達成した時,早朝からどうやって祝福の花束を用意するかが問題。
「朝6時に真栄球場に配達お願いします」とかいって,受けてもらえるのだろうか?
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 その渡辺選手が主将になった1995(H7)年,かわって5番をつけたのが“ゴーちゃん”の愛称を持つ佐藤剛外野手。この年のある道新リーグ戦前,オーダー表を作成時していた吉田敦監督代行から「背番号は何番だ?」と聞かれて,即座に「ゴーです」と答えて周囲の笑いを呼んだことは,前にも触れた。練習でノックを受けている時,急所に打球をあててしまい,その後直近の試合でデルタサポーター(彼の本業ともいえる少林寺拳法で使用するもの)をつけて球場入りしたこともある。
 明らかになっている限りではノンキーズ史上初のスイッチヒッターなのだが,試合以外のエピソードの方が満載の選手で,それを取り上げていくと相当な分量になる。よほど頑張らないと,そのすべてを発掘・網羅することは難しく,そういう意味では武田泣かせの選手とも言える。
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2009.1.17追加
 ゴーちゃんは,数年前のノンキーズ関係者の結婚式に剛 貞治の名で出席した。当日のしおりを確認したところ,間違いなくこの名前がノンキーズ関係者の集まった席に載っていた。
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 ゴーちゃんが1998(H10)年までつけた後,4年間の空白があり,2003(H15)年入団の川島壽捕手がつけた。しかし,川島選手が今季主将になったため,2007年4月28日時点では空き番号となっている。
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 2008(H20)年からは,再び川島選手が5番をつけている。その記念かわからないが,2008年シーズンには自身ノンキーズ公式戦では初めて三塁手で出場した。
川島 壽 捕手
(蛇足ですが打席の選手です)
川島捕手
2003年6月5日 道新リーグ@ 真栄球場
 札幌オーリングス戦
川島年度別成績

川島-個人タイトル・役職

2007.4.28 UP
2008.12.14 一部更新
2009.1.17 一部追加

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