背番号7

その翌年ユニフォームを新しくすることになり,番号もそれぞれ希望をとって好きな番号を選ぶことになった。19番に対する愛着もそこそこあったはずなのに,せっかくだから変えてみようと思い,平成7年にちなんでラッキーセブンの7番に。レフトを守っていたせいもある。ちなみに前年までは片野景祐外野手が付けており,さらに遡れば,たそがれ準優勝時に渡辺聡外野手が付けていた栄光の番号だと渡辺さん本人が言っていた。

7番で思い出すのはやはり,柴田勲(巨人)である。そう,ノンキーズニュース・ベンチャーズでも紹介された,あの『1番・センター・柴田』である。私が小学生の頃,付けたい背番号のトップは7番であった。当時ONの3番と1番は当然人気が高かったのだが,あまりに偉大すぎて荷が重いのや,逆に人気がありすぎるなどの理由から敢えて敬遠していたところもある。そこにきて柴田は,俊足巧打の1番バッター,赤い手袋をはめて盗塁を重ね,当時珍しいスイッチヒッターというのも人気の理由だった。

もうひとり忘れてならない存在が福本豊(阪急)だ。70年代はセは巨人,パは阪急の黄金時代。その中心選手のひとりである福本は歴代ダントツ1位の通算1065盗塁,そして13年連続盗塁王。いずれも今後これを破る選手は現れないだろう。当時知名度の点では格段に劣るパ・リーグの中にあって,誰もがその名を知るスーパースターだった。柴田とともに名球会メンバーである。

この二人のお陰で7番は俊足の外野手のイメージが強いが,強打でならした真弓明信(太平洋・クラウン−阪神)や吉村禎章(巨人)のほか,宇野勝(中日−ロッテ),石毛宏典(西武−ダイエー),松井稼頭央(西武−メッツほか),野村謙二郎(広島),現役では二岡智宏(巨人)などのショートの好打者も多い。

2006.10.19UP

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